復習もあと少し。でもこの後、Plus Sectionを5つクリアしないとLPAにはたどり着けない。先は長いなあ…
白状するなら、このところ、モチベーションは下降気味。仕事が、ハンバないほど忙しいということもあるけど、それ以上に努力しても伸びるのかなあ と、疑心暗鬼になっている。
だいたいさぁ…、考えながら、話すなんてどうやってトレーニングすればいいんだろう。それから、個人的も職業的にも使わない言葉を正しく理解しな さいなんて、日本語でも無理、むり、ムリ。だって出会わないじゃない。それに口語的な表現やカジュアルな表現なんて…。やっぱ、言語的な素養が全 くないんだから、見込みないようなああ…。復習も予習も一応はやるものの、身が入っていない。それでも、Lessonに行くのは楽しい。100% フルスロットルじゃないんだけどね、でも週末になると、さあLessonだって、ウキウキする。
今日のLessonのおしまいに、Instructorの先生から言われた言葉。
”Don't doubt yourself. There are no wrong answer.”
「ねえいいかな、これだけは聞いてほしいだけど…」といった感じで切り出されたので、よっぽど頼りなく見えたのかもね。ただ、こういう言葉は、背 中を優しく押してもらえているようで、とてもうれしい。
普段、人を励ますことはあっても、こういったストレートな言葉で励まされることは、かなりうれしい。
うまくいかないなあってぐだぐだ書いたけど、結局は、ひょんなことから立ち直って、やる気になったってこと。そしてこうも思う。今度は誰かを励ます存在でありたいって思う。できれば英語で。
Sunday, May 26, 2013
Sunday, May 19, 2013
Three way of summarizing / エレベータピッチで明日をつかめ!
金曜日の失敗が尾を引いて、土曜日は全く起き上がれない。日曜日になってもまだまだ体も心も重い。こんな時は、英語のLessonに感謝。予定が なかったら、一日鬱々としていたに違いない。
気を取り直して、栄養ドリンクもごくりと飲んで、でやっといつもの80%まで回復。でも集中力が全くなく、空回りでした。
今日は、 summarize 会議の要点を手短にまとめてボスに報告するというもの。
「まとめ方の3つのやり方をマスターしよう」
と、先生。short, just right そしてlong。2回トライするも、全くダメダメ。
なんとなく、だらだらっと締まりのないまとめ方になってしまう。エレベータピッチだったら、相手は怒り出して、企画を聞いてもらえるどころか左遷されちゃう…。
というわけで、宿題HOMEWORKを粛々とやっています。
気を取り直して、栄養ドリンクもごくりと飲んで、でやっといつもの80%まで回復。でも集中力が全くなく、空回りでした。
今日は、 summarize 会議の要点を手短にまとめてボスに報告するというもの。
「まとめ方の3つのやり方をマスターしよう」
と、先生。short, just right そしてlong。2回トライするも、全くダメダメ。
なんとなく、だらだらっと締まりのないまとめ方になってしまう。エレベータピッチだったら、相手は怒り出して、企画を聞いてもらえるどころか左遷されちゃう…。
というわけで、宿題HOMEWORKを粛々とやっています。
Sunday, May 12, 2013
Bonitos in early summer / 女房を質に入れても…
目に青葉、山ホトトギス、初鰹。
5月です。ゴールデンウィークも終わったし、あとは夏休みまでしっかり働くだけ。とはいえ、カツオのおいしい季節。復習もやっと中盤。自分の仕事や興味の外にあることでも表現ができるってことがかなり苦手。これはね、実はね、日本語でもとっても苦手なことなのだ。嫌いなことは極力避けて通ってきたもんね。
日本の文化を紹介するという比較的優しいテーマを復習中。
どうせなら、表現がどこまでできるかやってみようっかってわけで、暴挙に出ていました。
「女房を質に入れても食べたい初鰹。」これを翻訳して伝えてみようと。
さてさて、これは
・江戸の人たちは、季節の走りを珍重した。
・初物を食べると75日寿命が延びると。
・初物は高い。でも江戸の人たちは貧しい。でも食べたい
ここまでは、どうにか言ったけど、肝心の「女房を質に入れる」の個所
上手い表現が見当たらず、ダイレクトにお金がないから女房を売ったと言ってしまった。先生からは、
「貧しい人が娘を売るというのと同じか」
と。
「女房を質に入れても、食べたい初鰹」。
肝心なのは、「入れても」の「も」。文法的にいうと、これは助詞「も」で「極端な事柄を提示し強調する」という用法だ。
たぶん、これは、現代とは違い、質草にできるものはないから、女房を質に入れる。でも、薹(とう)が立った女房なんて売れやしない。だから洒落なのだ。だって、娘を売り飛ばしてカツオを食べたら、ただのろくでなしだ。
あとからよく考えてみたら、これは江戸流のテレもちょっとあるように思う。売り払うのではなく質草にするってことは、あとで取り戻すってことなのかな?なんとかかんといっても、古女房かけがえがないってことなのかもね。
めずらしく、日本の話になってしまった。
5月です。ゴールデンウィークも終わったし、あとは夏休みまでしっかり働くだけ。とはいえ、カツオのおいしい季節。復習もやっと中盤。自分の仕事や興味の外にあることでも表現ができるってことがかなり苦手。これはね、実はね、日本語でもとっても苦手なことなのだ。嫌いなことは極力避けて通ってきたもんね。
日本の文化を紹介するという比較的優しいテーマを復習中。
どうせなら、表現がどこまでできるかやってみようっかってわけで、暴挙に出ていました。
「女房を質に入れても食べたい初鰹。」これを翻訳して伝えてみようと。
さてさて、これは
・江戸の人たちは、季節の走りを珍重した。
・初物を食べると75日寿命が延びると。
・初物は高い。でも江戸の人たちは貧しい。でも食べたい
ここまでは、どうにか言ったけど、肝心の「女房を質に入れる」の個所
上手い表現が見当たらず、ダイレクトにお金がないから女房を売ったと言ってしまった。先生からは、
「貧しい人が娘を売るというのと同じか」
と。
「女房を質に入れても、食べたい初鰹」。
肝心なのは、「入れても」の「も」。文法的にいうと、これは助詞「も」で「極端な事柄を提示し強調する」という用法だ。
たぶん、これは、現代とは違い、質草にできるものはないから、女房を質に入れる。でも、薹(とう)が立った女房なんて売れやしない。だから洒落なのだ。だって、娘を売り飛ばしてカツオを食べたら、ただのろくでなしだ。
あとからよく考えてみたら、これは江戸流のテレもちょっとあるように思う。売り払うのではなく質草にするってことは、あとで取り戻すってことなのかな?なんとかかんといっても、古女房かけがえがないってことなのかもね。
めずらしく、日本の話になってしまった。
Sunday, May 5, 2013
Something special for me / 私だけの特別
GWもあと1日となった。連休の日曜の夜ともなると、さすがにLSもがらんとしている。静かだなあ。
今日は、正直なところちょっとだけ、Lessonに来づらかった。前回のLessonで辛口な評価をつけたのを後悔している。仕事でもそうなのだけど、私は、他人にあまりダメ出しをしない方だ。でもダメ出しをする場合、あまりにも理路整然とするので、相手は逃げ場がなくなってしまう。気を付けてはいるんだけどね。
他にも、Lessonの進行も軌道修正できるか不安だった。でも、何よりも怖かったのは、1週間ぶりにあう担当の先生に名前を忘れられているのではないかと…。
でも、Lessonが始まってみると、全てが杞憂だった。あ~よかった。いつものように、これがLessonなのかと思うほど楽しく時間が流れていく。チャイムが鳴って、いつもなら挨拶をして終わりになるところで、担当の先生は
「次回はね。」
と、次回のLessonでのテキストの開始位置を入力する画面をおもむろに開き、開始位置を訂正するとともに復習中と書き添えた。次に誰が担当しても間違えないように。
クライアントの評価をインストラクターは直接見ることができないらしい。だから、カウンセラーさんかLSマネージャが前回の私の評価結果を先生に伝えた(に違いない)。時々、LSマネージャがブースのインストラクターに手短に話をしているのを見かける。それはこういったためだったんだ。でも、私の目の前で入力したのは、たぶん担当の先生の機転。
インストラクターの中には、あっという間に予約が埋まってしまう先生が何人かいる。今までは、教え方の差だと思っていた。でも、クライアントが何を求めてきているのかに瞬時に判断し、それを実現できることができるかできないか…。そっちじゃないかと今は思う。
マンツーマンのLessonを選ぶ人は、自分だけの特別を求めている。その特別は、人によってそれぞれ違う。同じ人でも時と場合によっても違う。それを確実に探り当てて実現していくのは、教えるいうこととは別の才能だ。
クライアントから見れば、たった一人、まあ多く見積もっても数人だけど、一方のインストラクターは、1日で10 Lesson、1週間に5日とすると、50 Lessonを行うことになる。なんと大変なことだろう。つくづく、クライアントでよかったと思う。
もう一つ分かったのは、というよりまだ仮説だけど、LSマネージャやカウンセラーそして他のインストラクターとの連携。クライアントだけでなく他のスタッフと高いコミュニケーション能力を発揮していける人だけが続けていかれるのだろう。なんとも厳しい世界だ。
今日は、正直なところちょっとだけ、Lessonに来づらかった。前回のLessonで辛口な評価をつけたのを後悔している。仕事でもそうなのだけど、私は、他人にあまりダメ出しをしない方だ。でもダメ出しをする場合、あまりにも理路整然とするので、相手は逃げ場がなくなってしまう。気を付けてはいるんだけどね。
他にも、Lessonの進行も軌道修正できるか不安だった。でも、何よりも怖かったのは、1週間ぶりにあう担当の先生に名前を忘れられているのではないかと…。
でも、Lessonが始まってみると、全てが杞憂だった。あ~よかった。いつものように、これがLessonなのかと思うほど楽しく時間が流れていく。チャイムが鳴って、いつもなら挨拶をして終わりになるところで、担当の先生は
「次回はね。」
と、次回のLessonでのテキストの開始位置を入力する画面をおもむろに開き、開始位置を訂正するとともに復習中と書き添えた。次に誰が担当しても間違えないように。
クライアントの評価をインストラクターは直接見ることができないらしい。だから、カウンセラーさんかLSマネージャが前回の私の評価結果を先生に伝えた(に違いない)。時々、LSマネージャがブースのインストラクターに手短に話をしているのを見かける。それはこういったためだったんだ。でも、私の目の前で入力したのは、たぶん担当の先生の機転。
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インストラクターの中には、あっという間に予約が埋まってしまう先生が何人かいる。今までは、教え方の差だと思っていた。でも、クライアントが何を求めてきているのかに瞬時に判断し、それを実現できることができるかできないか…。そっちじゃないかと今は思う。
マンツーマンのLessonを選ぶ人は、自分だけの特別を求めている。その特別は、人によってそれぞれ違う。同じ人でも時と場合によっても違う。それを確実に探り当てて実現していくのは、教えるいうこととは別の才能だ。
クライアントから見れば、たった一人、まあ多く見積もっても数人だけど、一方のインストラクターは、1日で10 Lesson、1週間に5日とすると、50 Lessonを行うことになる。なんと大変なことだろう。つくづく、クライアントでよかったと思う。
もう一つ分かったのは、というよりまだ仮説だけど、LSマネージャやカウンセラーそして他のインストラクターとの連携。クライアントだけでなく他のスタッフと高いコミュニケーション能力を発揮していける人だけが続けていかれるのだろう。なんとも厳しい世界だ。
Thursday, May 2, 2013
What is the most important in a global business communication? / コミュニケーションで大切なこと
Lessonは楽しい。
予習をしながら今日はどんなLessonかなってワクワクするし、もちろんLesson中もだけど、終わってから今日は講評にどんなことを書こうかなって、Lessonを思い出しながら書くのも楽しみだ。
このBlogだって、充実したLessonを思い出しながら書いている。書き始めは、少々気が乗らなくても、書いているうちにどんどん気持ち乗ってくる。書いていると担当してくれたインストラクターの先生に感謝の気持ちでいっぱいになる。
でも、今日は、ちょっとだけ違う。
今週は、まるまる集中連休だったので、いつもとらない平日の昼間にLessonを取ってみた。うーん、釈然としない。なんでなんだろう。このすっきりしない感は。初めての先生だからなのかなあと思ったけど、そうでもなさそうだ。Lessonの記録を見て、その理由に気が付いた。名前なのだ。間違いではないけど、それは私の呼び名ではない。
そういえば、自己紹介もして名乗ったのに、2回のLessonで一度も名前を呼ばれなかったような気がする。「ような気がする」と書いたのは、私の思い違いであってほしいなあという願望が多分に含まれているからだ。
決して不真面目とか手抜きというわけではない。ベテランの先生らしく、教え方は丁寧でわかりやすかった。
ただ、マンツーマンというスタイルにあまり向いていないのかもしれないと感じた。前にも(2011年12月)書いたけど、マンツーマンのレッスンって、生徒の側が自分のために特別に教えてくれているんだって、思わせることがとても大切だ。特別だとまで行かなくても、誰にでも同じことを言っているなと思った瞬間、まるでビデオの再生を見せられているかのような気持ちになって、それまでの尊敬の念は覚めていく。
Lessonに限らず、コミュニケーションの中で相手から認知されていると伝えることは、意外とシンプルなことだ。相手の名前を憶えて、呼びかけることだ。このことはこれまでにも何度も書いた、そしてやり続けることが、大変なことも。名前を呼びかけることで、相手は心を開くだろう。でもちょっと気を抜いて、間違えたら、開きかけた扉はぴしゃりと閉まる。
こんな時、必ず思い出すのは、Eのことだ。どの生徒にも必ず、名前で呼びかけていたし、授業中も何度も呼びかけて、積極的にコミュニケーションを取ろうとしていた。それが努力にせよ天性のものにせよ、才能に恵まれていたことに変わりはない。今も東京で教えているんだろうか?彼の笑顔を思い出しながら、またLessonを受けられらいいのにと思う。
予習をしながら今日はどんなLessonかなってワクワクするし、もちろんLesson中もだけど、終わってから今日は講評にどんなことを書こうかなって、Lessonを思い出しながら書くのも楽しみだ。
このBlogだって、充実したLessonを思い出しながら書いている。書き始めは、少々気が乗らなくても、書いているうちにどんどん気持ち乗ってくる。書いていると担当してくれたインストラクターの先生に感謝の気持ちでいっぱいになる。
でも、今日は、ちょっとだけ違う。
今週は、まるまる集中連休だったので、いつもとらない平日の昼間にLessonを取ってみた。うーん、釈然としない。なんでなんだろう。このすっきりしない感は。初めての先生だからなのかなあと思ったけど、そうでもなさそうだ。Lessonの記録を見て、その理由に気が付いた。名前なのだ。間違いではないけど、それは私の呼び名ではない。
そういえば、自己紹介もして名乗ったのに、2回のLessonで一度も名前を呼ばれなかったような気がする。「ような気がする」と書いたのは、私の思い違いであってほしいなあという願望が多分に含まれているからだ。
決して不真面目とか手抜きというわけではない。ベテランの先生らしく、教え方は丁寧でわかりやすかった。
ただ、マンツーマンというスタイルにあまり向いていないのかもしれないと感じた。前にも(2011年12月)書いたけど、マンツーマンのレッスンって、生徒の側が自分のために特別に教えてくれているんだって、思わせることがとても大切だ。特別だとまで行かなくても、誰にでも同じことを言っているなと思った瞬間、まるでビデオの再生を見せられているかのような気持ちになって、それまでの尊敬の念は覚めていく。
Lessonに限らず、コミュニケーションの中で相手から認知されていると伝えることは、意外とシンプルなことだ。相手の名前を憶えて、呼びかけることだ。このことはこれまでにも何度も書いた、そしてやり続けることが、大変なことも。名前を呼びかけることで、相手は心を開くだろう。でもちょっと気を抜いて、間違えたら、開きかけた扉はぴしゃりと閉まる。
こんな時、必ず思い出すのは、Eのことだ。どの生徒にも必ず、名前で呼びかけていたし、授業中も何度も呼びかけて、積極的にコミュニケーションを取ろうとしていた。それが努力にせよ天性のものにせよ、才能に恵まれていたことに変わりはない。今も東京で教えているんだろうか?彼の笑顔を思い出しながら、またLessonを受けられらいいのにと思う。
Wednesday, May 1, 2013
TED: Nilofer Merchant on Got a meeting? Take a walk
[TED.TALK]
“Walk and talk. … You'll be surprised at how fresh air drives fresh thinking.”
歩いて話す。新鮮な空気が頭の仲間で新鮮にしてくれることに驚くでしょう。
GWもそろそろ、中盤。
だいぶマインドコントロールが解けて、やり残した仕事も気にならなくなってきた。えーい後は野となれ山となれ。
久しぶりに心に余裕が出てきたので、TEDを覗いてみることにする。まずは、ウォーミングアップを兼ねて比較て短いものをチョイス。
座っていることは、如何に悪いかというスピーチ。結論としては、体を動かすことが万事良いということなんだろうけど、結構過激。
確かに、現代人は睡眠時間よりも座っている時間が多いので、心臓病とか慢性疾患の要因になっているということは私も否定しない。
Sitting has become the smoking of our generation
(座っていることは、私たちの世代には喫煙と同じ)
何とも、過激だ。うーん、私の周りには結構喫煙者が多いし、大切なオフレコ情報は喫煙室に転がっていると信じて病まないちょっと時代錯誤な人もいる。体を動かしたほうがいいだけどね。
短いスピーチの中には、論点をハッキリさせるため、ちょっと過激に言い方があるもの確か。だけど、否定するんでなく、本当かなあとちょっと突っ込みを入れつつ、表現を味わってみるもの、Less than 6 minutesの味わい方だと思うのだ。
“Walk and talk. … You'll be surprised at how fresh air drives fresh thinking.”
歩いて話す。新鮮な空気が頭の仲間で新鮮にしてくれることに驚くでしょう。
GWもそろそろ、中盤。
だいぶマインドコントロールが解けて、やり残した仕事も気にならなくなってきた。えーい後は野となれ山となれ。
久しぶりに心に余裕が出てきたので、TEDを覗いてみることにする。まずは、ウォーミングアップを兼ねて比較て短いものをチョイス。
座っていることは、如何に悪いかというスピーチ。結論としては、体を動かすことが万事良いということなんだろうけど、結構過激。
確かに、現代人は睡眠時間よりも座っている時間が多いので、心臓病とか慢性疾患の要因になっているということは私も否定しない。
Sitting has become the smoking of our generation
(座っていることは、私たちの世代には喫煙と同じ)
何とも、過激だ。うーん、私の周りには結構喫煙者が多いし、大切なオフレコ情報は喫煙室に転がっていると信じて病まないちょっと時代錯誤な人もいる。体を動かしたほうがいいだけどね。
短いスピーチの中には、論点をハッキリさせるため、ちょっと過激に言い方があるもの確か。だけど、否定するんでなく、本当かなあとちょっと突っ込みを入れつつ、表現を味わってみるもの、Less than 6 minutesの味わい方だと思うのだ。
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