Lessonは楽しい。
予習をしながら今日はどんなLessonかなってワクワクするし、もちろんLesson中もだけど、終わってから今日は講評にどんなことを書こうかなって、Lessonを思い出しながら書くのも楽しみだ。
このBlogだって、充実したLessonを思い出しながら書いている。書き始めは、少々気が乗らなくても、書いているうちにどんどん気持ち乗ってくる。書いていると担当してくれたインストラクターの先生に感謝の気持ちでいっぱいになる。
でも、今日は、ちょっとだけ違う。
今週は、まるまる集中連休だったので、いつもとらない平日の昼間にLessonを取ってみた。うーん、釈然としない。なんでなんだろう。このすっきりしない感は。初めての先生だからなのかなあと思ったけど、そうでもなさそうだ。Lessonの記録を見て、その理由に気が付いた。名前なのだ。間違いではないけど、それは私の呼び名ではない。
そういえば、自己紹介もして名乗ったのに、2回のLessonで一度も名前を呼ばれなかったような気がする。「ような気がする」と書いたのは、私の思い違いであってほしいなあという願望が多分に含まれているからだ。
決して不真面目とか手抜きというわけではない。ベテランの先生らしく、教え方は丁寧でわかりやすかった。
ただ、マンツーマンというスタイルにあまり向いていないのかもしれないと感じた。前にも(2011年12月)書いたけど、マンツーマンのレッスンって、生徒の側が自分のために特別に教えてくれているんだって、思わせることがとても大切だ。特別だとまで行かなくても、誰にでも同じことを言っているなと思った瞬間、まるでビデオの再生を見せられているかのような気持ちになって、それまでの尊敬の念は覚めていく。
Lessonに限らず、コミュニケーションの中で相手から認知されていると伝えることは、意外とシンプルなことだ。相手の名前を憶えて、呼びかけることだ。このことはこれまでにも何度も書いた、そしてやり続けることが、大変なことも。名前を呼びかけることで、相手は心を開くだろう。でもちょっと気を抜いて、間違えたら、開きかけた扉はぴしゃりと閉まる。
こんな時、必ず思い出すのは、Eのことだ。どの生徒にも必ず、名前で呼びかけていたし、授業中も何度も呼びかけて、積極的にコミュニケーションを取ろうとしていた。それが努力にせよ天性のものにせよ、才能に恵まれていたことに変わりはない。今も東京で教えているんだろうか?彼の笑顔を思い出しながら、またLessonを受けられらいいのにと思う。
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