3月に出版されたHenry A. Kissingerの最新の回顧録「中国」(原題は"On China")を読んでいる。
読み終わるのはまだまだ先になると思う。分量もさることながら、内容も私には少し難しいから。だから、何回かに分けて感想を書いていこうと思う。書き始めたときと書き終わったときとで、自分の気持ちもかなり変わっているんじゃないかと思う。そこも楽しみのひとつだ。
読み始めてとても驚いたのは、私は大きな誤解をしていたのではないかということだ。
子供のころ、鷲鼻の眼光鋭い男をテレビで目にした。その男の名は、ヘンリー・キッシンジャー(Henry A. Kissinger)。当時のアメリカの国務長官である。
彼が、ベトナム戦争の終戦、そして国務長官退任後は、大学に戻ったことは知っていた。でも、この本を手に取った時、何の疑いもなくこれは、元国務長官の回顧録だと信じて疑わなかった。
第一章 中国の特異性を読んだとき、自分がとんでもない思いこみをしていることに気がついた。彼の本質は、政治学者(Politic Scientist)なのだ。彼は、中国の特異性をその歴史にあると考えている。服従の中国式作法(とでもいうべきだろうか)に対する、考察はとても面白いし、東洋人からみるとオリジナリティあふれるものだ。これまでに、これほど深く理解した西洋人と言うのはあまりいないように思う。
何よりも文章がよい。政治の話をしているのに、まるで遠い国の絵巻を見ているように抒情性があるのだ。翻訳者は共同通信の記者たちであるから、そうとう日本語にもこだわりぬいて翻訳をしたに違いないが、やはり原文も相当抒情性が高いのであろう。いつか、原文を読んでみたい思っている。
今、読み進めていく中で興味を持っているのは、彼がどの時点でその特異性に気がついたのかということだ。在任中(そして学識経験者しての在任前も)はぼんやりとは気がついていたのだろうが、確信をもったのはいつなのだろうかということだ。
中盤から後半にかけては、ニクソン政権下での米中外交について語られている。キッシンジャーは20世紀を代表する外交通だと考えられている。しかし昨今のキッシンジャーの評価の中には、真の外交通はむしろニクソンであり、キッシンジャーはメッセンジャーボーイに過ぎなかったとする評価もある。確かに、キッシンジャーの回顧録は多い部類に入るだろう。ニクソンの視点で書かれてものがあれば、読んでみたいと思っている。
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